は2014年頃から主な制作のテーマとして、アクリル絵の具等を用いて90年代後半から2000年代初期のイラスト文化に出てくるような、幼児〜思春期頃の人物像を描いています。作中の人物像には特定のモデルは無く、匿名性があり、そして具体的ではなくどこか含みのある、見る人によって解釈が異なるような表情をしています。それは私にとって普遍的とも言えます。なぜそのような絵を描き始めるに至ったかと言うと、幼少期から漫画やイラスト文化に対して親しみを感じていて、それらは常に身近にあり、登場人物は他者でありながら自分自身のように感じることができ、最も私と「地続き」になっているように感じるからです。
制作するプロセスにあたっては、描き進めながら何を描くか考えます。下図や詳細なスケッチやデッサンなどはほとんど必要としません。自分の手で撮った写真などを参考にし、それを頭に入れてから記憶スケッチや夢のドローイングのように描き出します。なぜならそれによってより曖昧でおぼつかない表情や心もとなさが出てくるからです。また描き進めたものをあえて潰したり塗り重ねたり、あるいは全く別のモチーフを描き加え、記憶の改ざんを行うような作業を取り入れるなど、まるでミックスされた潜在意識を連想させるような印象を生み出しています。なぜそのようなプロセスを必要とするかというと、私は10年以上起きているのか眠っているのか分からない夜が長く続き、毎夜毎夜複雑な夢を見ていて、それが私にとってリアリティのある風景だからです。
2014年にアクリル絵の具で画用紙に描いた「夢のランドスケープ」という作品を発表しました。少女の周りに折り紙やビー玉などが散りばめられ、まるで小さな劇場のような風景を描いた作品です。その作品のように私は身近にあるモチーフや簡単に手に入る材料などを使って制作することが多いのですが、制作しているときは無意識に大昔からの伝承による遊戯の歴史が自分のことのように感じられました。しかし例えば幼稚園で折り紙を習うときはこの歴史を意識して作る子供はいないでしょう。そのように、歴史や文化が個人の記憶と潜在意識の中で結びつくことで作者の個人的な主観でありながらも鑑賞者の共通する感覚を呼び起こすような作品を作ることを目指しています。
「安心で安全」な家の中で、手の届く範囲での「私的な歴史」という神話を信じているのです。そしてそれは、誰もが持っている意識でもあるかもしれません。
私達は誰しも、太古の昔より受け継いだ遺伝子の記憶を持っていて、歴史の巨大な樹の先端に立っています。その一人一人に数え切れないほどの文脈が存在していますが、その歴史を誰も直接見たことはなく、伝え聞いたものでしか知ることはできません。歴史は私達の財産であり、私達を形作る理由でもあります。しかし遺伝子の記憶は地下水脈のように内側を流れていますが、生まれる前の記憶がほとんどの人には無いように、それを誰も直接見ることはできません。
巨大な歴史の樹の文脈と、個人個人が持つそれぞれの生まれた時から始まる文脈の二種類が存在していて、それらは別々のように見えますが一つの見えない糸で繋がっています。歴史の記憶を次につないでいく上で、大きな文脈とその中に無数にある小さな文脈、つまり私の作品のような個人的な小さな歴史もまた常に生まれ続けているのです。
2021.9.28


祖母の家に住み始めて何年が経ったのか私には分からない。記憶の時系列はバラバラで輪郭は曖昧で、鮮烈に思い出せる事もあれば穴のように虚な部分もあると、二十代の事を聞かれれば事実がそうなのだからそう答えるしかない。
住んでいる街が好きだ。私を取り巻く一切の物。
祖母の遺した風景は、ある所が壊されまた建設されていく。どの国のどの街でもまた同じ事なのだけど、街や建物、森、埋め立てられた海…つまり自然という名の風景は、形を変えながら未来へと進んでいく。姿形を変えた建物や場所は、一度変われば以前の風景を容易く思い出す事はできない。少なくとも私にはそうだ。そこに何があって、どんな表情をしていたか、思い出そうにも面影はボヤけている。取り巻く環境が自然なのだから、自然というものは今や自然物だけではなく人によって作られた物もまた自然だ。生命が生まれる前と死んだ後を想像するように、物が物として誕生する前と朽ちていく先を想像する。街の移りゆく景色と同じに。
祖母には愛されていたけど、生前私は祖母に優しくはなかった。けれど遺された物の大きさを、この歳になりようやく理解できる。祖母不幸者、とよく言われていたけど、形を変えて星になった祖母について考えたりする事しか、今の私にはもうできない。壊された街の一角を、再生された建物を、日々捨てられてゆくたくさんの物を、弔うように眺めては、終わりと始まりを考えている。
2020.5.22

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